2020年10月05日 公開
2023年01月01日 更新
あまたいる戦国武将のなかから、各都道府県で一人ずつを選び、短編小説に――。
くじ引きの結果、第15回は、どこの県の誰なのか。
執筆者は、「羽州ぼろ鳶組」「くらまし屋稼業」シリーズが人気で、『童の神』が直木賞・山田風太郎賞にノミネート、『八本目の槍』も「週刊朝日」の歴史・時代小説ベスト10で第1位を獲得、『じんかん』が直木賞にノミネートされるなど、いま最も勢いのある若手歴史小説家・今村翔吾先生です。
この動画は、第15回のくじ引きを撮影したものです。
熊本県といえば肥後国、細川家を思い浮かべるかもしれませんが、細川家が熊本に入ったのは江戸時代初期、寛永9年(1632)のこと。
では、戦国期の肥後国はどうだったのでしょうか。
室町時代における肥後国守護は、平安時代以来の名門・菊池氏であったが、16世紀初めに没落、下剋上が進みました。
大分県といえば、豊後国と豊前国。
有名な戦国武将としては、キリシタン大名としても知られる大友宗麟(義鎮)が挙げられます。
大友氏は鎌倉時代初期、能直の代に、豊後の守護と鎮西奉行に任じられ、以降、北部九州を中心に勢力を伸ばして、有力な守護大名となっていきます。
そして戦国時代、宗麟の時に大友氏は全盛期を迎えました。
一時は、北部九州6か国を支配下に置き、南の島津、西の龍造寺と九州を三分し、キリスト教の布教を促進するとともに、ポルトガルと貿易を行なうことで、隆盛を誇ったのです。
しかし、この宗麟、初めから順風満帆だったわけではありませんでした。
父・義鑑は、宗麟の弟に家督を譲ろうとし、宗麟は廃嫡されそうになります。
そして天文19年(1550)に起こったのが「二階崩れの変」という政変で、その結果、宗麟は家督を相続することができたのです。
連載第15回は、この大友家の宿老で、大黒柱としてその隆盛に大きく貢献した戸次道雪(鑑連)が主人公です。
物語は、二階崩れの変の三年前、天文16年(1547)から始まります。
10月6日(火)発売の「歴史街道」11月号に掲載です。お楽しみに!
更新:11月21日 00:05