柿本人麻呂の描いた阿騎野にまつわる歌も、幻想的である。その中でも、次の一首が秀逸だ。
東(ひむがし)の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月傾ぶきぬ(巻一―四八)
この歌は、珂瑠(軽)皇子(のちの文武天皇)が阿騎野(奈良県宇陀市大宇陀)に狩猟に出かけ野宿した時、明け方東の空に「かぎろひ」がたち、ふとふり返ると、西の空に月が傾いていた、という歌である。
ここにある「かぎろひ」は、日の出の直前、光の屈折によって生まれる赤紫の曙光を指している。この歌がさらに引き立つのは、二首ほど前に、次の歌が詠われているからだ。
安騎の野に 宿る旅人 うちなびき 眠いも寝らめやも 古思ふに(四六)
阿騎野に宿した人々は、寝られなかったという。それはなぜかと言えば、昔のことが懐かしくてならないからだというのである。
阿騎野は、珂瑠皇子の父・草壁皇子(日並皇子)の思い出の場所なのである。そのことは、この後に出てくる歌から判明する。
日並(ひなみし)の 皇子の尊(みこと)の 馬並めて み狩かり立たしし 時は来向かふ(四九)
草壁皇子が馬を並べて狩りをなされたその時刻が、間もなくやってくる、というのである。
ちなみに、先の「かぎろひの歌」から、阿騎野の野宿が、いつのことか、天文学的に確定されている。すなわち、日の出の直前に月が西に沈んでいったのは、持統6年(692)12月31日(旧暦11月17日)の午前5時50分だったという。これは、草壁皇子の死から3年後のことである。
即位直前、道半ばで倒れた草壁皇子の悲運を、誰もが嘆かずにはいられなかったのだろう。皇子が亡くなられて3年、その面影は、いまだ皆の心の中に焼きついたままであったに違いない。そして、かぎろひの美しさと、皇子の悲しみが、強いコントラストで映えるのである。
このように、『万葉集』はヤマトの風光、ヤマトの歴史に深く根ざしている。だからこそ、『万葉集』は、現代に至っても、忘れ去られずに愛されているのである。
更新:12月04日 00:05