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琵琶湖の水を引く! 京都復興に懸けた明治人・北垣国道と技術者たち

2020年01月30日 公開
2023年10月04日 更新

秋月達郎(作家)

二人の若き天才

だが、疏水を開鑿するには専門的なちからが要る。知識や技能を備えた玄人を集めなければならない。北垣は人探しに没頭した。

すると、いた。同い年の南一郎平という水利土木の玄人で、維新の頃には九州宇佐において、土地の人たちが広瀬井手と呼ぶ灌漑水路を竣工させていた。

だが、北垣が南を招こうとしたとき、南は東北にいた。猪苗代湖から郡山へ到る灌漑水路の建設に精を出していた。安積疏水である。

京都へ赴くのはきわめて難しかったが、北垣は諦めない。協力してくれと懇請し、疏水の工事が可能かどうかの事前調査を託した。

南は折れ、安積疏水を完成させるや休む間もなく京都へ急ぎ、調査し、結果を『琵琶湖水利意見書』と『水利目論見表』にまとめた。

「精巧な計画図面を引ければ、疏水の建設は充分に可能でしょう」

北垣は南にその監督を期待したが、南には為さねばならないことがあった。栃木の那須野が原を開鑿して用水路を引くのだという。北垣の落胆は想像してあまりある。

北垣はふたたび人探しに没入した。すると、工科大学校(現・東京大学工学部)学長の大鳥圭介が、ひとりの学生を推薦してきた。

名を田邉朔郎、歳は21。

しかし、若さなどどうでもよい。卒業論文は『琵琶湖疏水工事の計画』で、内容は海外に紹介され、高い評価を受けているという。

「この男だ」

ただちに府の御用掛として採用し、疏水建設の担当とした。驚くべき抜擢だったが、北垣の眼に狂いはなかった。朔郎の計画はとてつもないものだった。

大津の西に蟠っている長等山に当時としては日本最長となる隧道を穿ち、山科を回り込んで粟田口に到るというもので、前人未到どころか普通に考えれば不可能な、いわば空論に近いものだった。

しかし、朔郎の計画書には、それを可能たらしめる画期的な案が練り込まれていた。

竪坑である。長等山に二本の竪穴を掘って掘削面の数を増やし、工期の短縮と坑道の通風を促すというもので、日本では誰も試したことのない最新技術だった。

「そんな技術を導入できるのかね」
「測量さえ完璧であれば、かならずできます」

北垣は、朔郎を信じた。

だが、朔郎案を現実のものとするには、大津から京都へかけての実測が要る。山中を踏破して、測量したさまざまな数値をひとつも洩らさず図面に落とし込み、工事をまちがいのないものとしていかなければならない。

しかし、そこらの輩にはできない。玄人中の玄人を見つけねばならない。北垣の執念は、ここでも実を結んだ。

「いた」

それも、膝元にいた。

測量技師、島田道生。

朔郎に優るとも劣らぬ技量と才覚の持ち主だった。

島田は北垣より13歳下だったが、妙な因縁があった。郷里が同じ但馬国養父郡で、北垣が県令に就任していた高知県庁に勤めていただけでなく、まるで北垣の後を追うように京都府庁へ移り、測量技師を務めていた。

島田は北垣の期待に見事に応えた。綿密な測量を行ない、完璧といえるような数値を導き出した。かくして、工事が始まった。

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