2019年03月29日 公開
2019年03月29日 更新
皇紀453年=孝元7年(前208年)、孝元天皇の第二皇子として誕生された稚日本根子彦大日日命(わかやまとねこひこおおひひのみこと)で、母は先帝・孝元天皇の皇后・鬱色謎命(うつしこめのみこと)である。
皇紀468年=孝元22年(前193年)1月14日、稚日本根子彦大日日命が16歳で立太子される。
第一皇子・大彦命を差し置いての立太子であるが、早い時期での立太子で、特に問題は生じていない。先帝・孝元天皇のご意思通りだったということであろう。
第一皇子の大彦命は阿倍臣(阿倍氏)、膳臣(かしわでおみ)、阿閉臣、狭狭城山(ささきやま)君、筑紫国造、越国造、伊賀臣ら諸氏族の祖で、後に四道将軍の一人として、北陸道に派遣されて活躍される。また開化天皇の第二皇子で甥に当たる御間城入彦命(みまきいりひとのみこと、崇神天皇)の後見役を果たされた。
皇紀503年=孝元57年(前158年)9月2日、孝元天皇が崩御される。
皇紀504年=開化元年(前157年)冬10月13日、大和国春日率川宮(かすがいざかわのみや)に遷都された。
この年11月18日、稚日本根子彦大日日命が開化天皇として即位される。
皇紀509年=開化6年(前152年)春1月14日、先帝の妃・伊香色謎命(いかがしこめのみこと)を皇后に立てられる。
物部氏の先祖である大綜麻杵命(おおへそきのみこと)の娘である。
皇紀513年=開化10年(前148年)、皇后との間に御間城入彦五十瓊殖命(みまきいりひこいにえのみこと、崇神天皇)が誕生される。
妃・姥津媛(ははつひめ)との間に第三皇子として彦坐王(ひこいますおう)が誕生される。
皇紀531年=開化28年(前130年)1月5日、齢19歳の御間城入彦五十瓊殖命(崇神天皇)を立てて皇太子とされる。
皇紀563年=開化60年(前98年)4月9日、在位60年、111歳で崩御された。
更新:11月24日 00:05