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統帥権⼲犯問題と憲法改正反対―「⼤⽇本帝国」の失敗

2018年08月13日 公開
2023年01月19日 更新

瀧澤中(作家/政治史研究家)

「憲法の問題点を無視しても⼤丈夫」と⾔えるか

大日本帝国失敗の研究改憲派を「戦争屋」「愚劣な右翼」といい、護憲派を「売国奴」「無責任な⾮現実主義者」というような単純思考のレッテル貼りをやめて、戦後の平和がなぜ維持されたのかということを冷静に⾒る必要がある。

⾃衛隊や⽇⽶安保体制の有⽤性は、護憲派が圧倒的に多かった⺠主党政権下ですら引き継がれた考えであり、ゆえに彼らは⾃衛隊の存続と⽇⽶安保容認を政策として持続させたのである。

とすれば、まず「物理的な⼒で国を守ることはなんらかの形で必要」というのは、⼤多数の国⺠の意⾒と⾒てよいのではないか。

時々、「平和憲法があったから平和が保たれた」という議論を⽿にするが、現⾏憲法を⾼らかに唱えていれば、北朝鮮のミサイルや中国の尖閣諸島などでの⽰威⾏為がやむとは思えない。

まして、奪われたままの北⽅領⼟や⽵島が還ってくるとも考えられない。

たとえば戦前、⽇露戦争から⼤東亜戦争まで30年以上にわたる国内的な平和の主たる要因を、「⼤⽇本帝国憲法があったからだ」と考える⼈は当時でも少数派であろう。

あの時代、⽇本が他国から侵略を受けなかったのは、まごうことなくアジアで最強の軍隊が存在したからである。

外交上の努⼒は⾔うまでもない。⼤正から昭和にかけては、アメリカとの関係悪化や対中国政策のつまずきなど問題が⼭積していたが、それでも折々の政府は⽇本が孤⽴することだけは避けようとしていた。

軍隊という物理的な⼒と、外交⼒。数は多いとは⾔えなかったが、諸外国との官⺠さまざまな交流が、うまく働いていた時期もあった。

⼤⽇本帝国憲法があったから、⼤⽇本帝国憲法を⾼らかに謳っていたから、30年以上の平和が続いたわけではない。

時の政府は、苦渋することもたびたびであった。

ロンドン軍縮條約では、濱⼝内閣は⼤⽇本帝国憲法の問題を知りながら、その議論を避けて條約を締結した。

戦後は、⽇本国憲法の問題点を知りながら、憲法改正の議論を避け、その時々の状況に応じて柔軟に運⽤した。

だが、ロンドン軍縮條約で憲法の持つ弱点に⽬を覆った結果、濱⼝雄幸⾸相の暗殺未遂事件を惹起し、やがて軍部勢⼒台頭の⼤きな⼀歩を許したのである。

いま、「⽇本国憲法の問題点に⽬をつぶっても、将来に禍根は残さない」と⾔い切れるであろうか。

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