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平将門伝説の謎~叛乱者はなぜ神として祀られたのか

2014年04月11日 公開
2022年06月21日 更新

村上春樹(国文学研究者)

御霊信仰から産土神へ

 叛乱者とされた将門は、実は人情に厚い人柄で、彼を慕う人々も大勢いました。争乱の中でも農繁期には兵を気遣って田畑に帰してやり、また乱暴を受けた敵の婦女にも手厚く労わる優しさを見せています。

 それだけに、叛乱者として不本意な死を遂げた将門の霊魂が、怨霊となって祟りをなすということが都の人々に怖れられたのです。将門の乱の10年前には清涼殿の落雷事件が起こり、菅原道真の怨霊によるものと怖れられていましたので、将門も道真と同じように御霊信仰の対象となりました。

 特に東国では民衆からの信仰が篤く、畏敬される存在となります。それを伝えるのが、有名な東京の大手町にある首塚の伝説です。

 将門を祀る神田明神の云われには諸説ありますが、一説によると、この地はもともと芝崎という村で、そこに塚を築いて将門の首を祀り、築土明神と称されました。しかし嘉元年間(1303~06)頃、村が荒廃したため、将門の墓に花を供する者もなくなり、亡霊が祟りをなして人々に病災をもたらしました。その時、この地に立ち寄った時宗の二祖である真教上人が回向し、将門の怨霊を鎮めたのです。

 人々は上人に賛仰してここに念仏道場を建て、その境内に産土神(うぶすながみ)として将門を祀りました。これが神田明神の縁起といわれ、徳川家康が江戸入封で現在の地に移すまで、神田明神はこの地に鎮座していたのです。ちなみに、家康は将門の神威によって江戸の町を守ることを企図して、神田明神を江戸城の鬼門の方角に据えています。

 一方、首塚はこの地に建てられた大名邸内に祀られ、明治後、屋敷跡には大蔵省が建ちました。有名な話ですが、その後、新たな首伝説が生まれます。大正12年(1923)、関東大震災が起こり、大蔵省の庁舎は全焼、首塚も崩れました。そこで塚をならして仮庁舎が建てられたのですが、すると大蔵大臣をはじめ、役人に死傷者が続出したのです。

 さらに終戦直後には、GHQが一帯を整地しようとしましたが、なぜかブルドーザーが横転し、運転手が死亡するという事故が起きてしまいました。これらの出来事から、現代においても産土神である将門の祟りが怖れられ、現在の地で手厚く祀られ続けています。

 

武士団、民衆のヒーローに

 中世以来の民衆による信仰と同時に、将門は東国武士団でも英雄として信奉されました。その中心的な存在は千葉氏や相馬氏で、彼らは源頼朝の挙兵の頃より、「平親王将門の後裔」として妙見信仰伝説を広めました。

 ところで、将門と同時に叛乱を起こした藤原純友は将門ほど信奉される存在になっていません。これはやはり血統によるところが大きいように思われます。藤原氏の純友は臣下の立場で海賊とみなされますが、将門は桓武天皇に繋がる平氏です。中央政権に対して勢威を誇った将門は、東国武士団が自分たちのアイデンティティーの象徴とするにはうってつけの存在だったのでしょう。

 一方で、修験山伏や時宗の僧も将門を信奉し、伝説を各地に広める役目を担いました。彼らにとっては民衆が信奉する将門の伝説を語ることが、布教する上で都合がよかったのかもしれません。そのため、東北地方や関東各地で、将門やその一族の伝説が数多く残りました。

 例えば、山形県の羽黒山には1400年もの歴史を誇る出羽三山神社があり、その神社の五重塔を創建したのは将門であるという伝説があります。そして驚くことに、東京の奥多

摩には出羽まで繋がるという鍾乳洞があり、修験者たちがこれを使って出羽から奥多摩まで出てきて、将門伝説を語り布教をしたと伝えられています。

 このように民衆や東国の武士団、修験者たちが将門を信奉した背景には、中央政権に対して堂々と物申した将門の姿勢を賛美する思いがあったのでしょう。将門の時代には、中央から派遣される国府の役人に不正が横行していました。そのため、国府と戦った将門は、地方に生きる人々に寄り添う存在だったのです。

 その延長で、江戸時代には江戸庶民の間で将門人気がいっそうの高まりを見せます。浄瑠璃や歌舞伎で上演され、黄表紙や読本などでも多くの作品が生まれました。これは将門

の文芸化と言われますが、各地で滝夜叉姫や相馬太郎、信田小太郎伝説が生まれたのも、その影響でしょう。将門の存在は、お上に対して世直しを求める反骨精神の象徴として捉えられるようになりました。

 ところが、明治時代になると一転して、将門は朝廷に弓を引いた逆臣としての扱いを受けます。神社の祭神から外されるなど、苛酷な待遇が終戦時まで続きました。そのためか、戦時中、将門は兵役逃れの神として信じられるようになります。あくまで民の側に立つ神様として、崇敬を集めてきたためでしょう。

 このようにお上から弾圧を受けても、将門への民衆の信奉は揺るがず、戦後には復活を遂げました。大河ドラマや演劇、小説などでも主人公として華々しく登場し、神田明神をはじめ各地の社寺で人々の尊崇を集めています。叛乱者として処断された将門は数々の伝説で語り継がれながら、千年の時を経て、郷土の英雄、民衆のヒーロー、そして祭神として畏敬される存在となったのです。

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