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アベノミクスの手本! 高橋是清の「運」をつかむ生き方

2013年05月15日 公開
2022年11月30日 更新

童門冬二(作家)

明るく生きて、「機会」を捉えた是清

 14歳の時、英語を学ぶために渡米した是清は、仲介した商人に騙されて奴隷(正確には年季奉公)に売られてしまいます。しかし若き日に、その目でアメリカという国を見たことは、大きな財産となりました。

 当時のアメリカは、イギリスに次いで「産業革命」で成功を収めた新興国でした。そして欧州に負けじと、まさに「がむしゃら」に前だけを見据えてアジアにマーケットを求めていた時期と重なります。また、アメリカ人の特徴として、1つ1つの物事をドライに捉える気質があります。面白いことに、彼らはあまり苦悩を引きずりません。言うなれば「楽天主義」です。当時のアメリカが、世界史上でも出色の急発展を遂げることができたのは、アメリカ人特有の、がむしゃらさや楽天主義と決して無縁ではないはずです。

 若くて勢いがあり、前だけを向くパッショナルな国…。是清は、そんなアメリカの国民性に触れたのをきっかけに、向日性、あるいは楽天的な生き方の重要さを実感したのでしょう。もちろんこれは、是清だからこそ鋭敏に反応できた面もあるかもしれません。と言うのも是清は、幼い頃に馬に踏まれても無傷だったのをはじめ、いくつか幸運な出来事が重なり、「高橋の子どもは幸せ者」と言われていたのです。「自分は運がいい」。そう心の底から信じていた是清だからこそ、陽気なアメリカ人の姿勢に、共感することができたのでしょう。

 明治元年(1868)、1年間のアメリカ生活を経てようやく帰国した是清に、普通の人ならば絶望し、身を持ち崩すような出来事が次々と降りかかりました。しかし、彼は下を向かずに乗り越えていきます。

 詳細は別稿に譲りますが、かいつまんで紹介すると、是清は身につけた英語力を活かして英語教師を務めましたが、やがて放蕩生活に転落。この時、職を辞して芸者に面倒を見てもらい、箱屋(芸者のお供をして箱に入れた三味線などを迎ぶ仕事)までやっています。さらに30代半ばには、官職を辞してペルー銀山の投資話に臨むものの、騙されて無一文に――。

 ところが是清は、無一文になっても、「なに、丁稚奉公からやり直せばいいじゃないか」と、悲観的になりませんでした。

 ――機会は決して作るべからず、来るを捉えよ。

 是清の言葉です。どんな状況に直面しても、決してじたばたと焦ってはいけない。ただ、与えられた機会に全力を尽くせばよい…。この言葉通り、是清は「どん底」に陥っても慌てずうろたえることなく、明るさを失わずに「運」が自分に向くのを待ちました。そして実際、不意に訪れた「運」を見事につかむのです。

 ペルー銀山事件から2年後の明治25年(1892)、是清は日本銀行総裁の川田小一郎から、「日銀建築所の事務主任」の誘いを受けます。すると是清は「あなたの玄関番でもやります」とニッコリと笑いながら快諾。畑違いの仕事ながら真摯に取り組み、日銀新館を期限通りに、しかも低予算で完成させました。是清はこの手腕が認められ、やがて日銀の公職を歴任していくことになるのです。

 もしもこの時、是清が川田の誘いに二の足を踏んだり、期待に応えていなかったならば、後の名蔵相は誕生しなかったでしょう。その意味で是清は、自身に訪れた運を見事に「つかんだ」と言えます。ではなぜ是清は、巡ってきたチャンスを確実に「つかむ」ことができたのでしょうか――。

 ここまで見てきたように、是清は波瀾万丈の前半生を送り、実に様々な経験をしてきました。そしてそれらの見聞から、彼は多くのことを学んでいます。

 後に自らこう述べています。

 「学問も大事だが、見聞をひらくことも大事である。見聞が狭くては、訪れた機会を活かすことができない」

 年齢に比して是清ほど多くを見聞し、世の中の酸いも甘いも味わった人間もいないでしょう。奴隷、芸者の箱屋、破産…。そんな「どん底」の生活は生きた教材となり、彼に人間とはどんな生き物なのか、世の中とはどのように回るものなのかを教えたはずです。

 そしておそらく彼が自得したのは、「人間、失うものは何もない。どん底の生活に陥っても、焦らずにやるべきことをやっていたら、必ず道はひらける」という信念だったのではないでしょうか。実際、是清がどん底に落ちても、必ずそこから引き上げようとする善意の力が働いています。それこそが是清の語る「つかむべきチャンス」なのでしょう。人を騙すのも人間ならば、善意で人を救うのもまた人間なのです。そして是清は、不遇を嘆いたり、誰かを恨んだりせず、一方でチャンスを与えてくれる善意には感謝しました。「失うものは何もない」と思えば欲得はありませんから、不運な境遇を嘆く気も起こりませんし、逆に善意のありがたさには素直に感謝できるのでしょう。またそんな人物を、周囲は決して放ってはおきません。むしろ信頼し、「この男なら仕事を託すことができる」とチャンスを与えたくなるのです。是清は、この一種透徹した人間観、人生観を持つことで、突然訪れた「運」を見誤らずにつかむことができたのではないかと思うのです。

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著者紹介

童門冬二(どうもん・ふゆじ)

作家

1927年東京生まれ。東京都職員時代から小説の執筆を始め、’60年に『暗い川が手を叩く』(大和出版)で芥川賞候補。東京都企画調整局長、政策室長等を経て、’79年に退職。以後、執筆活動に専念し、歴史小説を中心に多くの話題作を著す。近江商人関連の著作に、『近江商人魂』『小説中江藤樹』(以上、学陽書房)、『小説蒲生氏郷』(集英社文庫)、『近江商人のビジネス哲学』(サンライズ出版)などがある。

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