じつは9人だった「賤ヶ岳七本槍」
じつは9人だった「賤ヶ岳七本槍」
賤ヶ岳(滋賀県) 「賤ヶ岳七本槍」とは? 天正11年(1583)4月21日。美濃大垣から52キロメートルもの距離を、わずか5時間で駆け戻った羽柴秀吉の軍勢1万5千が、木之本に着陣、退却を始めた柴田勝...
歴史街道 » #方広寺鐘銘事件の記事一覧
賤ヶ岳(滋賀県) 「賤ヶ岳七本槍」とは? 天正11年(1583)4月21日。美濃大垣から52キロメートルもの距離を、わずか5時間で駆け戻った羽柴秀吉の軍勢1万5千が、木之本に着陣、退却を始めた柴田勝...
木村重成の墓(大阪府八尾市) 奇想天外な逸話と決戦前夜の妻との別れ 「和国随一の美男」にして勇気ある武将と称えられる木村長門守重成は、真田幸村、後藤又兵衛とともに、豊臣家滅亡の最後の決戦で...
今日は何の日 慶長19年4月16日、方広寺の鐘が鋳造 慶長19年(1614)4月16日、京都の方広寺の鐘が鋳造されました。そこに刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」という文言に徳川家康がいちゃもんをつけ、大...
「腹に一物持った狸親父の徳川家康」「息子の秀頼を溺愛する淀殿」「運に恵まれない豊臣方牢人衆」…古来、そんなステレオタイプのイメージで語られてきた大坂の陣は、信頼できる史料に基づいたものではない。むし...
更新:12月04日 00:05