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第19代・允恭天皇~「盟神探湯 」により氏姓の乱れを正す

2019年06月03日 公開
2019年06月03日 更新

吉重丈夫

允恭天皇陵
允恭天皇陵(大阪府藤井寺市)
 

令和改元という節目の年に、歴代天皇の事績をふりかえります。今回は「允恭天皇」をお届けします。

※各天皇の年齢等については数え年で計算して記しています。
※即位年、在位年数などについては、先帝から譲位を受けられた日(受禅日)を基準としています。
※本稿は、吉重丈夫著『皇位継承事典』(PHPエディターズグループ)より、一部を抜粋編集したものです。

吉重丈夫著『皇位継承事典』
 

第19代 允恭天皇
世系22、即位37歳、在位42年、宝算78歳

皇紀1036年=仁徳64年(376年)、仁徳天皇の第四皇子として誕生された雄朝津間稚子宿禰命(おあさづまわくごのすくねのみこと)で、履中天皇、反正天皇はともに同母兄である。母は仁徳天皇の皇后・磐之媛である。
 

皇族・群臣の協議による後嗣選定

系図皇紀1070年=反正5年(410年)1月、先帝・反正天皇は、ご自身に皇子・高部皇子がおられたが、皇太子を定めずに崩御された。そこで群臣たちは相談して雄朝津間稚子宿禰命の即位を推挙する。

皇子は病を理由に再三辞退され、空位が続いた。

ここで先帝が後嗣を定めずして崩御され、皇族・群臣が協議して後嗣を選んで即位を願うという手順がとられた。そして再び皇位の兄弟継承が行われた。

先帝には妃・弟媛との間に高部皇子がおられたが、この皇子の詳細は不詳で、少なくとも皇位を争われた形跡はない。夭折された可能性もある。

皇紀1072年=允恭元年(412年)12月、雄朝津間稚子宿禰命の妃・忍坂大中姫(おしさかおおなかつひめ)命が雄朝津間稚子宿禰命に即位を強く要請されたこともあってようやく即位される(37歳)。

妃と側近たちの強い要請で即位された。

そしてこの年、大和国遠飛鳥宮(奈良県高市郡明日香村飛鳥)を都とされた。

皇紀1073年=允恭2年(413年)春2月14日、妃の忍坂大中姫命を立てて皇后とされる。

皇后・忍坂大中姫の父は応神天皇の皇子である稚野毛二派皇子(わかぬけふたまたのみこ)で、応神天皇の孫娘である。

異母兄弟に大草香皇子もおられたが、皇位は望まれず、雄朝津間稚子宿禰命が即位されることに関し周囲が全て賛同していた。

皇紀1075年=允恭4年(415年)9月9日、諸氏族の氏姓の乱れを正すようにと詔される(詔七十三詔)。

これは皇后や妃となられる方の氏素性に直接関係することなので、皇位継承の上からも極めて重要なことであった。

同月28日、「群卿百寮(朝廷に仕える高官)及び諸々の国造(地方を治める官僚)らは皆それぞれ、『天皇の後裔である』とか、『先祖は天孫降臨に供奉して天降ったものである』とか言う。しかし開闢以来万世を重ね、一つの氏から多数の氏姓が生まれ、その実は知り難い。それで諸々の氏姓の人達は、斎戒沐浴して盟神探湯(くがたち、証明)をせよ」と詔される。

上下の秩序が乱れて、昔の姓が不明となったり、偽って高い氏を名乗る者が出たりするので、これを正すために、甘樫丘で盟神探湯を行った。

諸人は各々神聖な木綿襷を掛けて、熱湯の釜に赴き探湯(手を入れる)をした。真実の者は何事もなく、偽っていた者は皆傷ついた。以後、氏姓は自ずから定まって偽る者はなくなり、特定の氏姓が増殖していくことはなくなった。

皇紀1094年=允恭23年(434年)春3月7日、第一皇子の木梨軽皇子を立てて皇太子とされる。母は先帝の皇后・忍坂大中姫である。

皇紀1095年=允恭24年(435年)6月、皇太子の木梨軽皇子と同母妹の軽大娘皇女(かるのおおいらつめのひめみこ)の近親相姦が発覚する。

太子は世継ぎとなる人であるから処罰はできず、軽大娘皇女が伊予に配流になる。

天皇は早くから第一皇子の木梨軽皇子を後嗣と定められたが、思わぬ事件で廃太子となった。

木梨軽皇子の他に皇子として境黒彦皇子(さかいのくろひこのみこ)、穴穂皇子(あなほのみこ、安康天皇)、八釣白彦皇子(やつりのしらひこのみこ)、大泊瀬稚武命(おおはつせわかたけるのみこと、雄略天皇)がおられたが、境黒彦皇子、八釣白彦皇子は後に雄略天皇に殺害される(「眉輪の王の変」)。

皇紀1113年=允恭42年(453年)春1月14日、在位42年、78歳で崩御される。

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