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始皇帝の実像~現代中国でも再評価される偉業

2019年05月16日 公開
2021年07月21日 更新

渡邉義浩(早稲田大学理事・教授)


 

現代にも通じる近代的制度

後世、始皇帝の評価が低いのは、漢の時代に書かれた司馬遷の『史記』が影響しています。冒頭に紹介した「焚書坑儒」もこれに記されたものですが、それを全て史実と認めていいかは、疑問があります。

坑儒、つまり儒者を穴埋めにすることはあったかもしれませんが、本当に焚書をしたとすれば、後世にこれほど書物が残っているはずがありません。

漢の時代に、儒家が漢に取り入るため「始皇帝は悪政をしたが、漢のおかげで世の中が良くなった」という話を吹聴する過程で、「焚書坑儒」が創作されたのではないでしょうか。

実際の始皇帝は、非常に明晰な頭脳の持ち主だったと思います。一日に一石(約31キログラム)という重さの書類を処理するほどでした。

合理的な思想の持ち主であり、個人としての武力もある。総じて、優秀な人だったのでしょう。しかしその先進的な考えは、時代の先を行きすぎていたとも言えるかもしれません。

また、統一達成後は「統一を維持しよう」という考えを、ほとんど持たなかったように見えます。国内統治よりも不老長生を追い求め、政治から死後の世界へと興味が移っていった結果が、兵馬俑で知られる始皇帝陵(驪山陵)の建設に表れています。

こうした点も、統治者としての評価の低さに繋がっているのではないでしょうか。

しかしそれでもなお、世界史に残した影響は多大です。

中国の英語名「China」の語源は秦ですし、同時代の他文明と比較すると、軍事面でも支配体制の面からも、非常に強靭な国家と言えます。

秦は人口にして、およそ5千万人を支配していたと考えられます。紀元前にそれだけの人口を擁し、戸籍を管理し、支配していたというのは凄いことです。

それを支えた法家思想や郡県制は、非常にシステマティックかつ近代的な制度であり、現代にもその影響が見て取れます。

官僚や役人が、自ら判断するのではなく、中央政府が定めた法に則 って行動する仕組みは、法家思想に通じています。

また郡県制に基づく統治機構は、6世紀の隋からは「州県制」と名を変え、13世紀の元には地方区分が「省」となりますが、基本的な仕組みは現代中国に至るまで引き継がれています。

そしてその仕組みは、日本の地方自治にも用いられています。

たとえば郡県制では、郡と県の間で上下関係がありません。今の日本でも、東京都知事が東京23区のどこかの区長を更迭することはできません。こういう制度の下では、中央政府に権力が集中するようになるのです。

このため中国では、郡守が力をつけてしまったがために、国が滅んだということは一度もありませんでした。

始皇帝がおこなった政治の良し悪しは別として、現代中国のみならず、現代日本を知るうえでも、重要な存在であることは間違いないのです。

 

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