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オリンピックのためではない!? 国立競技場誕生の背景

2015年07月31日 公開
2023年01月16日 更新

『歴史街道』編集部

意外と知らない国立競技場の歴史

ここ最近、話題に上がり続けている「国立競技場」。それでは、以前の国立競技場が建設されたのは、いつのことだったのか――ご存じでない方も多いのではないでしょうか。ここでは、普段は注目されることのないであろう、国立競技場の歴史を紐解いていきましょう。

 

歴史は、大正時代末まで遡る

 現在の問題もあいまって、国立競技場は東京オリンピックに関連して建設されたと思ってらっしゃる方も多いかもしれません。確かに、国立競技場は東京オリンピックの開会式の会場でもあります。しかし、建設されたそもそもの目的は、オリンピックの2年前に開催されたアジア大会でした。

 国立競技場の前身は「明治神宮外苑競技場」でした。この競技場は日本で初めての、そして東洋一の本格的陸上競技場として、青山練兵場跡地に建設されました。関東大震災などを経て完成したのは、大正時代末のことです。

 国立競技場は様々な競技の「聖地」と謳われましたが、それはこの神宮競技場で陸上競技のみならず、サッカー、ラグビーなど様々なスポーツが行なわれたことに端を発するのでしょう。

 しかし、そんな神宮競技場でしたが、第2次世界大戦を機に暗い時代を迎えます。大戦中には学徒出陣の壮行会が行なわれ、また敗戦後には連合軍に接収され「ナイルキニック・スタジアム」と名をかえて使用されたといいます。

 そして敗戦から数年後、日本はある行動に出ます。

 「現在の平和な我が国の姿を、オリンピックという祭典を通じて世界に示したい」

 それは、昭和15年(1940)に「幻のオリンピック」を経験し、その後、苦しい時代を経た日本にとっての悲願でした。

 

神宮競技場から、国立競技場へ

 日本は、そのためのアピール活動のひとつとして、まずは昭和33年(1958)に第3回アジア競技大会を東京で開催しました。そして、そのメイン会場として、神宮競技場を「国立競技場」として生まれ変わらせたのです。

 アジア大会という華やかな国際舞台のメイン会場となる競技場は、まず神宮競技場を取り壊すことから始めました。建設計画の中心人物は、建設省関東地方建設局(当時)の角田栄氏と、設計・デザインの片山光生氏という2人の日本人でした。

 着工は昭和32年(1957)年1月で、オリンピックを2カ月後に控えた昭和33年(1958)3月、ついに完成となりました。

 アジア大会を成功させた日本は、翌昭和34年(1959)、ついに東京オリンピックの招致も実現させます。この東京オリンピックでもメイン会場となった国立競技場は、名実ともに日本を代表する国際的競技施設として、以降、日本人に愛され続けたのです。

 天皇杯全日本サッカー選手権大会、全国高校サッカー選手権大会、ラグビー大学選手権大会、ラグビー日本選手権大会など、スポーツのビッグイベントの数多くは国立競技場で行なわれています。平成5年(1993)年のサッカーJリーグ開幕戦などは、記憶が鮮明な方も多いのではないでしょうか。

 現在の新国立競技場の問題がどのように解決するかは分かりませんが、これからも日本のスポーツの聖地として輝き続けられるよう、新たな一歩を踏み出すことを願わずにはいられません。(水)

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