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間取りで読み解く『サザエさん』

2015年07月28日 公開
2023年01月16日 更新

『歴史街道』編集部

先日、資料を探しに世田谷区の図書館に行きました。帰路、最寄り駅の東急田園都市線の桜新町駅まで歩いていると、何やら見慣れた顔が…。駅前に、サザエさんとタラちゃんの像が建っていました。

この桜新町は、漫画『サザエさん』の原作者・長谷川町子さんが住んでいた町。『サザエさん』の漫画を刊行していた姉妹社の跡地に「長谷川町子美術館」があり、その美術館と駅を結ぶ商店街通りが「サザエさん通り」と名づけられています。

ご存じのように『サザエさん』は、お歳を召した方から、小さなお子さんまで、漫画かアニメかの違いはありますが、誰もが読んだことのある、観たことのある超ロングセラー漫画です。

『サザエさん』の連載が始まったのは、終戦の翌年、昭和21年(1946年)4月22日に福岡の地方新聞『夕刊フクニチ』でした。来年で連載開始から70年を迎えます。

今年は戦後70年の節目の年ですが、『サザエさん』も来年同じく70年の節目を迎えます。この間、漫画のトップランナーを走り続け、現在でもテレビで毎週大勢の人に観られている…世界的に見ても類のないものですね。

ところで毎週日曜日、『サザエさん』のアニメを観ていると、少し違和感を感じる時があります。電話が昔ながらの黒電話、クーラーがない…現代の家庭とは違う、昭和の暮らしがそこここに登場します。

その中でも、現代と一番大きな違いは、磯野家の「間取り」ではないでしょうか。玄関から廊下で居間に繋がり、廊下の両脇に部屋があり、庭との間に縁側がある…この間取りは、昭和30年代頃までよく見られたもので、一説には磯野家は5LDKで、延床面積が30坪とされています。

アニメを観ていると、居間にある卓袱台に家族が集まって食事をしたり、寛いだりしています。家の一番奥の部屋が波平・フネさんの部屋で、その手前が客間になっています。

戦後すぐの時代は、一番奥まった良い部屋を父親が使っていることが多く、家の間取りにも父親の権威が現われていました。『サザエさん』を観ていると、サザエさんやカツオ君も、波平さんを心の中では畏怖していることが感じられます。

高度成長期を経た日本の住宅では、ダイニングキッチンに代表される空間が暮らしの中心となり、それは家の中心が父親でなく、母親と子供になっていったことを意味しているといわれています。

では、なぜ前時代的な間取りと家族の関係に基づいた『サザエさん』が、現代でも幅広く受け入れられているのでしょうか。

『サザエさん』では、子供向けとは思えないような、近所づきあいの難しさや、学校や身近な場所でのこじれた人間関係、会社での他人の出世への嫉妬など、戦後の日本がずっと抱えている深刻なテーマがよく取り上げられます。

アットホームに思える漫画世界には、実は年配者でも思いを巡らせてしまうような作り手の意図とメッセージが隠されているのです。大人もつい見入ってしまうのには、こんな理由があるのではないでしょうか。

子供にとっても、無条件で楽しめるストーリーの中に、まだ見ぬ社会の縮図を疑似体験できることが、大きな魅力になっているといえるでしょう。

先ほど触れた現在では使われない黒電話や、父親の権威を振りかざそうとする波平さんの姿も、現代の子供たちにとっては、昭和という時代を自然に理解するための一つの素材の役割を果たしているのではないでしょうか。

今も多くの大人が心の中で忘れずに持っている昭和という時代の価値観と、人間関係の大切さと難しさなど生きる上で学ぶべき事柄を、大人にも子供にも素直に伝えているからこそ、『サザエさん』は皆に親しまれ、これからも受け継がれていくのではないでしょうか。

と、今回は少し固い話になってしまいました。最後にネタを一つ。長谷川町子さんが、サザエさん一家の10年後を描いた漫画が存在します。そこには、タラちゃんの妹が! 名前は「ヒトデ」ちゃんです。ちょっとワカメちゃんに似たかわいい女の子です。(立)

 

写真は桜新町駅前に立つサザエさんとタラちゃん像と、長谷川町子記念館前の、サザエさんファミリー

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