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杉田玄白『解体新書』出版から250年 重要資料からひも解く日本の医療史

2024年07月25日 公開
2024年07月29日 更新

歴史街道編集部

『解体新書』序図
写真:『解体新書』序図(福井県立若狭歴史博物館蔵、以下同)

『解体新書』出版から250年を迎える今年、小浜市にある福井県立若狭歴史博物館で、杉田玄白と解体新書にまつわる特別展が開催される。展示資料からは、一体、何がみえてくるのか。歴史街道編集部が、担当学芸員にたずねてみた。

 

『ターヘル・アナトミア』と杉田玄白たち

福井県の小浜は、京都に近い港として古くから栄え、江戸時代には日本海交易の要衝として、北前船でにぎわいをみせた。

江戸時代の歴代藩主を務めた酒井家は、学問を奨励し、著名な儒学者を藩に招聘したり、早い時期から藩校を開いたりしている。そうした気風から、小浜藩は後世に名を残す蘭学者を輩出しており、杉田玄白もそのひとりである。

そして今年、『解体新書』の出版から250年の節目を迎えることから、玄白ゆかりの地、小浜市にある福井県立若狭歴史博物館で、『小浜藩医 杉田玄白の挑戦』と題した特別展が開催される。

そもそも、玄白と小浜のゆかりはどのようなものなのか。そして、展示資料からは何がみえてくるのか。展示に携わる福井県立若狭歴史博物館学芸員の徳満悠さんと、小浜市学芸員の川股寛享さんにお話をうかがった。

玄白は小浜藩の江戸屋敷で生まれたが、数えで8歳のとき、父で小浜藩医の甫仙(ほせん)が小浜へ転勤を命じられ、それから5年の間、玄白は小浜で過ごすこととなる。

「8歳から13歳頃といえば、大事な成長期であり、なんでも吸収する年齢です。この多感な時期を、玄白は小浜で過ごしました」

と川股さん。

「小浜における玄白の事績は不明ですが、小浜に着いた翌年の元文6年(1741)に、一番上の兄が亡くなっています。その2年後には義理の母も他界していて、家族との別れも経験しています」

玄白が『解体新書』の原本である『ターヘル・アナトミア』を入手したのは、明和8年(1771)、九代藩主・酒井忠貫(ただつら)のときだった。

同じ小浜藩の医師であった中川淳庵が、オランダ商館から借用した『ターヘル・アナトミア』を玄白にみせると、玄白は、その精緻な解剖図に圧倒された。日本の医学の発展のために必要だと直感した玄白は、藩に購入してもらうべく頼み込んだ。すると忠貫は、それを認めたという。

「比較的、学問に関して理解がある藩だったと考えられます。玄白たちが江戸の小塚原で腑分け(解剖)の見学をしますが、その20年近く前にも、京都において漢方医の山脇東洋が腑分け観察をしています。このとき許可を出したのが、京都所司代で小浜藩七代藩主の忠用(ただもち)でした」

玄白は学問においては、恵まれた環境にあったようだ。

さて、オランダ語で書かれた医学書をなんとか読もうと、玄白は翻訳を決意する。だが、オランダ語を教えてくれる人は誰もいない。この時代、オランダ語の通詞(通訳)はいたが、彼らは耳学問であり、会話はできるがオランダ語の読み書きはほとんどできなかった。それでも、玄白はあきらめなかった。

徳満さんはこう語る。

「長崎留学に行っていた中津藩の医師・前野良沢という人が、やはり『ターヘル・アナトミア』を入手しており、玄白とは旧知の仲でした。ここに先の中川淳庵と、桂川甫周が加わり、『翻訳プロジェクト』が始動するわけです。『解体新書』の出版は、玄白ひとりで成し遂げたものではなく、今回の特別展では、そうした関係者のつながりにも注目していきます」

安永2年(1773)、『解体新書』出版の前に、『解体約図』が発行された。これは5枚からなる刷物で、これまで漢方の解剖図しかみてこなかった医師や世間、そして幕府がどのように反応するのかを探る意味があった。 

「特別展では、それ以前に出版された『五臓六腑図』という漢方の観点から描かれた解剖図を始め、山脇東洋のスケッチをもとにした解剖図など、玄白以前の解剖学の流れも紹介しています」

『解体新書』に至っては、オランダ語の原書、そして杉田玄白の弟子・大槻玄沢が『解体新書』を改訂した『重訂解体新書』までが並び、医学書の歴史が目で追えるようになっているという。

 

『解体新書』が残したもの

『重訂解体新書付図』
写真:『重訂解体新書付図』

『解体新書』の発刊は、さまざまな影響を及ぼした。蘭学の進歩はもちろんのこと、芸術面でも特筆すべきものがある。

『解体約図』の図は若狭出身の熊谷儀克が担当したが、『解体新書』では秋田角館の人、小田野直武が筆をとった。もともと狩野派の絵を学んだ直武は、平賀源内から西洋画の描き方を伝授され、それまでの日本画にはない、陰影や遠近法を駆使した写実的な技法で仕上げている。

「こうした手法は、のちに画家の司馬江漢(こうかん)にも影響を与え、エッチング(銅版画)という、新たな絵画の普及にもつながっているんです」と川股さん。

語学面では、玄白の次男である立卿(りゅうけい)が、オランダ語を習得。『眼科新書』という翻訳本を出版して、眼科専門の蘭方医となっている。その子である成卿(せいけい)は、幕末時に幕府に求められて軍事書の翻訳をしたり、蕃書調所(ばんしょしらべしょ、幕府直轄の洋学研究所)に勤めたりもしている。

「今回、スウェーデンの植物学者で医師でもあるカール・ツンベリーの『日本紀行』の原書も展示します。ツンベリーはオランダ人と偽って日本に来日しましたが、その折、中川淳庵と桂川甫周に会っています。そして『日本紀行』に、二人ともオランダ語を解し、特に淳庵の語学力に驚嘆した、と明記されているのです」

展示目録をみながら徳満さんが教えてくれた。『解体新書』の発刊は、芸術や語学の面でも多大な影響を与えてくれたのだ。

川股さんはこう語る。

「『済生三方』という書物も展示していますが、これはドイツ語の本を玄白の孫である成卿が訳したもので、臨床医学をもとに内科について記されています。

嘉永2年(1849)に出されたものですが、すでにオランダ語を訳すのではなく、ドイツ語の原書を翻訳しているところに注目してほしいです」

玄白たちがオランダ語訳に取り組んでから78年の間に、語学探求の道はさらに広がりをみせていたのだ。そして現代に至っても、『解体新書』出版という難事への挑戦は、多くのことを語り掛けてくるはずだ。

特別展は、ちょうど夏休みの期間中と重なる。しかも8月10日(土)には、各界の専門家や著名人を招き、「蘭学」について語らう「蘭学サミット」も小浜市文化会館で開催されるという。小浜に足を運び、先人たちの心意気に触れてみてはいかがだろうか。

杉田玄白木像写真:杉田玄白木像

【若狭歴史博物館リニューアル10年記念特別展
「小浜藩医 杉田玄白の挑戦 ─『解体新書』出版250年─」】

会期 2024年7月20日(土)〜8月18日(日)
時間 9:000〜17:00(最終入館は16:30まで)
会場 福井県立若狭歴史博物館
福井県小浜市遠敷2丁目104  tel.0770-56-0525

【『解体新書』出版250年 蘭学サミット―解体新書と日本の夜明け―】
日程 2024年8月10日(土)
時間 13:30〜16:30 
会場 小浜市文化会館(福井県小浜市大手町7-32)
参加費 参加無料・要申込
※下記からWEB申し込み、もしくはハガキで申し込みください。ハガキの場合、郵便番号・住所・氏名・電話番号・参加人数を明記の上、下記までお送りください。

https://rangaku-summit.peatix.com/

(ハガキの送付先)
〒910-8552
福井市大和田2丁目801
福井新聞社
クロスメディアビジネス局
蘭学サミット運営事務局

 

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