2024年05月13日 公開
写真:令和5年度において演舞を披露した 「やまがた愛の武将隊」
会津美里町にある日本最大級の山城・向羽黒山城では 今年の5月26日(日)、 まつりが開かれる。巨大な山城で繰り広げられる催事とは、いかなるものなのか? まつりの実行委員会に尋ねてみると、それは、蘆名氏以来の会津の伝統に彩られたもので、しかも今年は「模擬合戦」も催されるという。
写真:まつりにおける野点茶席
初夏の風が心地よい5月。その最終日曜日に開かれるのが、「日本最大級 向羽黒山城まつり」だ。
このまつりは、令和6年で20回目を迎えるが、巨大な山城で催されるまつりとあって、どんな催しとなるのか気になるところだろう。それを探るべく、編集部がまつりの実行委員会に尋ねてみた。すると、意外な答えが返ってきた。
「実はこのまつりは、もともとは茶会を中心としたものなんです」
会津は室町時代以来、茶の湯と縁の深い土地柄だという。会津を治めた大名・蘆名氏は、室町時代に上洛した際、足利将軍家から東山流という茶道の手ほどきを受けたと考えられているそうだ。
さらに蘆名中興の祖である16代・盛氏は、築城した向羽黒山城に「御茶屋場」という客人をもてなす場を設けている。
また、豊臣政権下で切腹を命じられた千利休の息子・千少庵は、当時、会津領主で、利休七哲の一人でもある蒲生氏郷のもとに身を寄せ、茶室「麟閣」をつくったという。
徳川時代に入ると、4代将軍・徳川家綱の補佐役として活躍した会津初代藩主の保科正之が、将軍の茶道指南役流派である石州流を会津にもたらしている。会津では、室町から江戸時代にかけて、茶の湯文化が醸成されてきたのである。
しかも、会津で醸成されたものは、茶の湯文化だけではないという。
「まつりの茶会でつかう茶道具も、すべて会津でつくられたものなんですよ」
たとえば茶碗に使用する本郷焼は、東北最古の窯元とも呼ばれ、蒲生氏郷の時代に端を発する。そこから発展させたのは保科正之で、会津本郷村の土を用いて、本格的な陶器製造が始まった。
本郷焼の特徴は、陶器と磁器の両方をつくっていることで、これは珍しいことだという。茶の湯に不可欠なものに、棗(なつめ)や茶杓(ちゃしゃく)、茶入がある。こちらも会津ならではの「会津漆器」が用いられている。
会津漆器は、やはり蒲生氏郷が奨励し、保科正之が育成した歴史がある。つややかな色、優美な蒔絵が特徴で、江戸時代にはオランダなどへの輸出品としても珍重されたそうだ。
茶入を包む仕覆は、からむしという本州では会津の昭和村でしか生産していない植物でつくられた織物をもちいる。そして莨盆は、会津の三島町の桐でできている。会津で育った桐はきめが細かく、薄く削っても割れることがないという。
会津は、茶の湯の道具がすべて地元で揃うという非常に珍しい土地柄なのだ。こうした名産品が、何百年も前の蒲生氏や保科氏によって育まれてきたことを思うと、感慨深いものがある。
写真:そば打ち実演
今年のまつりでも、会津の道具を使い、茶を愛した蘆名氏や蒲生氏ゆかりの向羽黒山城跡で、複数の流派がそれぞれの腕を披露するそうだ。なんとも贅沢な時間だ。茶の湯というと、敷居が高そうだが、まつりの趣旨は、野外での開放感に包まれて、気軽に茶を楽しむことという。
まつりではほかにも、向羽黒山城の見どころや穴場を紹介してくれる「山城ガイド散策ウォーク」や「着物着付け体験」、蘆名氏の貴重な資料を展示する向羽黒山城跡整備資料室(向羽黒ギャラリー)、そば打ちの実演、山野草の展示販売といった催事もある。
写真:山野草展
写真:山城ガイド散策ウォーク
それだけではない。
「今年は、新たな取り組みとして、武将隊による模擬合戦もやります」とのことで、大人も子どもも楽しめるに違いない。
向羽黒山城は、ツツジの花の名所でもある。5月の最終日曜日ならば、まだ美しく可憐な花が残っているかもしれない。日本最大級とされる山城で、武将気分を味わいながら、茶の湯をたしなむのはいかがだろうか。
写真:まつりについて教えてくださった水野俊彦さん、中村文夫さん、遠藤秀一さん(右より)
\「日本最大級 向羽黒山城まつり」は、令和6年5月26日(日)開催です/
詳細は下記をご参照ください↓
https://www.mukaihaguro-yabou.jp/myjmaturi
更新:11月08日 00:05