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失ったものは戦争で取り返す...第二次世界大戦の原因になった“ドイツの復讐心”

2023年10月19日 公開

保阪正康(ノンフィクション作家)

 

戦勝国からの過酷な賠償が大戦の火種に

4年間かけて戦った第一次世界大戦で多くの犠牲を出したことで、人類はこれまでとは違う戦争観を持つようになります。国家総力戦になって、多くの犠牲者を出す「戦争の愚かしさ」を国際社会は強く認識するようになったのです。

大正7年(1918)から2〜3年の間に続いた各種の国際会議を経て、1920年代は国際協調路線が世界の主流になります。

たとえば、大正10年(1921)11月から翌年2月にかけて、アメリカのハーディング大統領が呼びかけて、日本、イギリス、フランス、イタリア、オランダ、ベルギー、ポルトガル、中国が参加する国際会議がワシントンで開かれました。

ここで中国への対処と太平洋問題を話し合い、中国の権益に関して機会均等・門戸開放を取り決めた九カ国条約、日英同盟を廃止して、日本、アメリカ、イギリス、フランスの間で結ばれた四カ国条約、イギリス、アメリカ、日本の主力艦の比率を五・五・三とする海軍軍縮条約が締結されました。

それから、「戦争はもう嫌だ」「あんな残酷なことはやめよう」という考えから、昭和3年(1928)にはアメリカのケロッグ国務長官、フランスのブリアン外務大臣が音頭を取って、締結国相互の戦争放棄と紛争の平和的解決をうたったパリ不戦条約が、列強を中心に主要15カ国が参加して締結されました。日本の立場は微妙ではありますが、締結国には入っています。

この条約には「自国の政策のための戦争を放棄」「国際紛争の平和的手段による解決」という条項が掲げられています。

しかし、大正8年(1919)のヴェルサイユ講和会議では、第一次世界大戦の戦争処理問題をめぐって、敗者の側に位置づけられたオーストリア、ドイツなどに、過重な領土の割譲、賠償金の請求、あるいは文化、憲法の否定といった要求が突き付けられていました。

「戦争は二度と嫌だ」と言って国際社会の平和を模索しながら、現実には勝者の側が一方的に敗者の側に過酷な状況を強いて、次の大戦への火種をまいていたのが、第一次世界大戦後の世界の特徴でした。

第一次世界大戦から第二次世界大戦へと向かう時代の流れを追いかけると、まずドイツが第一次世界大戦を完全な負け戦と思っていなかったことが源流にあります。

局地的に負けていたとしても、国家全体が敗北したという意識には欠けていて、それがゆえに、賠償金などの過酷な要求によってドイツ国民に苦しみを与えたことで、「復讐心」が燃え上がったのです。

この「復讐心」は第一次世界大戦と第二次世界大戦の「戦間期」にあって、ドイツ国内の思想の中心と言っていいかと思います。「戦争で失ったものは、戦争で取り返す」という敵愾心をドイツに与える戦争の終わり方が、ヒトラーを生み出す「バネ」になったという見方もできます。

このことに関して、アメリカのルーズベルト大統領は、昭和16年(1941)12月の真珠湾攻撃の後に行った演説で、「今度の戦争では、私たちには講和はあり得ない」と言いました。

第二次世界大戦でアメリカが戦った相手は、ドイツ、イタリア、日本ですが、無条件降伏するまで徹底的に戦うと宣言したのです。そして、「ドイツ、イタリア、日本の国家政治体制を解体し、我々の望む通りの国家に作り替える」と言いました。

それが意味するのは「ドイツは第一次世界大戦で負けたと思っておらず、だから戦争を挑んできたが、今度は許さない。徹底的に戦って、二度と我々に対抗してくるような国家にはしない」ということです。

このルーズベルトの演説は、敗者に敗者であることを徹底的に教え込んだ上で、戦争を終えるべきだったが、第一次世界大戦はそうではなかったと言っているのです。

また、第一次世界大戦では、「ドイツの侵略で戦争が始まった」として、ドイツが戦争責任を負わされ、裁判が行われました。ただし、裁判はドイツが自国で法廷を開いて判決を出し、有罪判決を受けた人物でも自由に拘置所から出られるようなものでした。裁判そのものが骨抜きになっていたのです。

それが「戦争裁判を敗戦国にやらせてはいけない」という教訓になり、第二次世界大戦では連合国の権限の下で裁判が行われました。

こうして見てくると、人類が電気を発明することによって新しい時代が開けたのと同じように、第一次世界大戦は、人類社会が戦争というものを通じて、新しい時代に入っていったが、戦後処理が中途半端だったために、第二次世界大戦が起こったと説明することができるでしょう。

その意味で、第二次世界大戦は第一次世界大戦と連結していて、この2つの戦争を前半と後半に分けて「20世紀初頭の戦争」として総括するべきだと思います。

私たちはほぼ同時代ですから、第一次と第二次に分けていますが、未来には「20世紀前半の世界戦争は......」という仕方で分析するようになるのではないでしょうか。

 

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