20世紀前半に起こった2つの世界大戦の意味を、どのように捉えればいいのか。昭和史研究の第一人者・保阪正康氏は、「前半と後半に分かれた連続した戦争」として捉え、この「つながり」を見ていくことによって、意味合いが見えてくるという。2つの世界大戦が現代人に問いかけてくるものとは――。
※本稿は、保阪正康著『戦争の近現代史 日本人は戦いをやめられるのか』(幻冬舎新書)から一部を抜粋し、編集したものです。
大正3年(1914)、ヨーロッパで第一次世界大戦が勃発します。
20世紀前半に、大正3年(1914)から大正7年(1918)までの第一次世界大戦と、昭和14年(1939)から昭和20年(1945)までの第二次世界大戦の2つの世界大戦がありました。
しかし、私はこの2つを「前半と後半に分かれた連続した戦争」と捉えています。この「つながり」を見ていくことによって、第一次世界大戦の意味合いもよくわかってきます。
第一次世界大戦のきっかけは、大正3年(1914)6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫婦が、セルビア王国の青年に暗殺されたサラエボ事件です。これをきっかけにオーストリア=ハンガリー帝国がセルビア王国に宣戦布告し、周辺の複数の国を巻き込んだ世界大戦に発展します。
セルビア王国はロシア帝国の支援を受け、ロシアと三国協商を結んでいたフランス、イギリスがセルビア側で参戦しました。そこにイタリアが加わり、後にアメリカが加わっています。
一方、オーストリア=ハンガリー帝国は、ドイツ、イタリアと三国同盟を結んでいましたが、イタリアは脱退し、セルビア側に加担します。しかしロシアと敵対関係にあったオスマン帝国が同盟側で参戦しました。
それぞれの国が利害関係から戦争状態に入り、ヨーロッパ全土が戦争に巻き込まれたのですが、その際、アフリカの各国の植民地でも両陣営に分かれた戦争が勃発し、世界的規模に拡大していきました。
ちなみに当然ながら、当時は「第一次世界大戦」とは言われていません。「大戦争」「世界戦争」と呼ばれており、ヒトラーがポーランドに攻め入って第二次世界大戦が勃発した昭和14年(1939)9月1日以降に「第一次」と位置づけられました。
このとき、「あのときの大戦争は第一次世界大戦で、今度の大戦争が第二次世界大戦ではないか」と考えられたわけです。
第一次世界大戦が始まった当初は、1週間もすれば片付くだろうと見られていました。ところが、戦争は4年間続き、どの国も国家財政は破綻し、膨大な犠牲者を出しました。
『流れ図 世界史図録ヒストリカ』(山川出版社)を見ますと、ドイツの戦死者はおよそ180万に達しています。
その他の同盟国側の戦死者数を挙げていくと、オーストリア=ハンガリー帝国はおよそ120万人、オスマン帝国がおよそ30万人。一方、連合国側を見ると、イギリスがおよそ90万人、フランスはおよそ130万人でした。
ちなみに、日本は日英同盟の関係から参戦し、チンタオ(青島)のドイツ軍基地や南洋諸島のドイツ領を攻略しています。日本の死亡者数は、およそ300人と推測されています。
20世紀初めは人類史の曲がり角 第一次世界大戦のきっかけとなったオーストリア= ハンガリー帝国の皇太子へのテロは、セルビア王国の民族問題に端を発しています。テロを行った青年らは、自国が帝国のハプスブルク家に隷属させられていることに怒りを持っていました。
しかし皇太子がテロで暗殺されたオーストリア=ハンガリー帝国はもとより、ロシア帝国、オスマン帝国、ドイツ帝国のいずれも、1910年代はそれぞれ領土の統治者は皇帝であり、民族の独立をめざすナショナリズムは帝国支配のなかに包み込まれていました。
つまり、どの帝国でも内包する民族問題が常に沸騰しかねない状況にあったのです。それがセルビアで火がつき、いとも簡単に燎原の火となり、第一次世界大戦後にはすべての帝国が崩壊しています。
民族問題に端を発した20世紀初頭の世界大戦は、このように歴史が大きく転換する時期に発生しました。時代背景として、従来の戦争ともっとも異なる点は、科学万能の時代が到来したことです。
15世紀から16世紀の「地動説か、天動説か」の議論が物語るように、かつては科学者が正しい法則を発見しても、真理は神のものであり、宗教によって人類の真理が決められていました。しかし、17世紀後半から18世紀にかけて、宗教ではなく、理性によって現実を理解しようとする「啓蒙の時代」が始まっていきます。
その流れのなかで、実証的な物の見方を尊ぶ「科学第一主義」という「人類史の曲がり角」が、20世紀の初めにやってきました。神の権威が崩れることは、「物事を相対化して見る」という科学的な思想につながります。
それは、皇帝を中心とする権力の下で強かった絶対主義的な枠組みすらも相対化することにつながり、この時期の帝国の崩壊を、相対化の時代が到来したという観点から論じる説もあります。
「相対化して見る」ことは、「Aを正しいとするためには、Bを否定しなければいけない」、あるいは「AよりもBが正しいとすれば、Bが取って代わらなければいけない」という形で考えることにつながります。
物事を相対化して見るようになった「20世紀の初め」は、たとえばイギリスの歴史家ポール・ジョンソンの書などでも説かれています。さらにヒステリー症の治療法の研究から「無意識」に着目し、精神分析の方法を研究したフロイトに源流があると指摘する説もあります。
フロイトの「無意識」の考え方は、意識の下に自覚できない領域の存在を認め、人間が心のなかに「神」とは違う深遠な世界を持つとしたことで、その精神分析の理論が絶対的存在であるはずの神を相対化したのです。
いずれにしても、人類史に刻まれるべきあらゆる形の文化的・科学的な発展が20世紀の初めに集中的に現れていて、それが戦争をきっかけとして旧来型社会の解体現象を起こし、新しい文化、新しい科学、新しい政治技術を生むようになったと言うことができるでしょう。この点に注目しなければなりません。
大きく変わったという点では、戦争のあり方がそれまでとまったく違ったものに変質しました。
一つは、科学の進歩による兵器の技術革新です。新しい高射砲は10キロ先、20キロ先まで砲弾を飛ばし、機関銃は連鎖的に弾丸を撃ち続けることができます。さらに飛行機を使った爆撃や、戦車、毒ガスまで出てきました。
また、それまでの戦争は限られた領域で、非戦闘員、すなわち一般の人がいない戦場でプロの兵士たちによって戦われていました。しかし、第一次世界大戦からは、相手の国の非戦闘員まで殺害するという国家総力戦に変わっていったのです。その点から言えば、第一次世界大戦で、人類の戦争は「新しい次元」に入ったのです。
それは、戦争の終わり方も同じです。
戦争が長引くにつれ、何のために戦っているのか、だんだんその意味がわからなくなってくると、「戦争は資本家が金儲けのためにやっている」という素朴な考え方が広く受け入れられ、社会主義思想が広まりました。
とくにロシアは、マルキシズムを信奉するレーニンの指導によって革命が起こり、社会主義国家であるソビエト連邦が誕生します。そして、ソ連はドイツにもアメリカやフランスにも与しない中立の立場を取ります。それは結果的にドイツを支援する形になるのですが、ソ連となったロシアはしばらく戦争から離れました。
一方のドイツでも社会主義運動が広まり、戦争を続ける国力が弱まり、皇帝ヴィルヘルム二世の威厳も失墜したことで、敗戦を受け入れる形になります。第一次世界大戦の終結は戦場での勝敗と言うより、参戦国内の社会状況の変化で終結が決まった側面が大きいのです。
更新:12月13日 00:05