2015年10月01日 公開
2023年03月09日 更新
世の中にはふたつの派閥があります。
広島風お好み焼き派と、大阪風お好み焼き派。
しかしどちら派にせよ、どっちでも良いよ! という方にせよ、意外とそのルーツを知っている人は少ないのでは?
広島風と大阪風、どう違うの? という疑問にも触れつつ、探ってみましょう。
お好み焼きをよく食べる方にとっては当たり前かもしれませんが、意外と知られていないのが、そもそもの違い。
中華そばが入っていれば広島風なんでしょ?
と思っている方も多いかもしれませんが、それは違います。大阪風でも、そばを入れれば「モダン焼き」として成立してしまうので、本質的な違いではありません。
二つの違いは、その作り方にあります。
大阪風は、生地と具材を一緒くたに混ぜこんでからおたまですくって平らに焼きます。
広島風は、まず生地をクレープ状に鉄板に薄く伸ばし、その上にキャベツをどさっと置いて、さらにその上に豚肉をかぶせ、いったんひっくり返します。その脇でそばと卵を焼き、お好み焼きをその上に乗せて、もう一度ひっくり返して出来上がりです。
違いは断面図を見てみると一目瞭然。
生地でつながった素材が均一な大阪風に対し、広島風は層状なのです。
(↓広島風は大阪風より分厚いことが多い)
お好み焼きの起源については実は確固たる証明がなされているわけではありませんが、いわゆる「一銭洋食」の発展形だろう、という説が有力です。
単純に小麦粉を焼いただけのものなら江戸時代にも既に食べられていましたが、昭和初期、西日本の駄菓子屋で子どもたちに流行った一銭洋食というおやつは、かなり現在のお好み焼きにも近いものでした。
小麦粉を薄く焼いて、ねぎや粉ガツオ、とろろ昆布などをちょちょっと乗せて、ソースをかけて半月状に折って食べるのです。
しかしそれは、その名の通り、あくまで安い子供向けのおやつ。大人が喜んで手を伸ばすようなものではありませんでした。
(ただ、今でもお持ち帰り用のお好み焼きを半分に折ってパックに入れるお店があるのは、その名残かもしれません)
ところが戦争が終わり、物資が乏しく、特に深刻な米不足に悩まれた日本では、俄然小麦粉に注目が集まるようになりました。
小麦粉を「メリケン粉」とも称する通り、アメリカ軍が多くの小麦粉を提供したのです。
ここに、大阪でも広島でも、お好み焼き文化は花開くこととなりました。
(↓こちらは大阪風)
原爆の被害で食糧不足が著しかった広島では、このメリケンの粉が非常に重宝されました。
広島で、大阪と比べて小麦粉の使用量が少なくて済むお好み焼きが根付いたのは、そこに理由がありそうです。
また、広島市内では、観音ねぎというねぎ(九条ねぎの一種)が作られており、始めはそれを入れて食べていましたが、次第に、もっと安くてボリュームのあるキャベツを大量に入れるようになります(小麦粉の少なさを補うためかもしれません)。
さらに復興が進むにつれ、大人の腹も充分満たせるよう中華そばやうどんも加えた「広島風」の形が出来上がっていったのです。
ちなみに、広島にいらした方は覚えがあるかもしれませんが、広島のお好み焼き屋さんには、「みっちゃん」「れいちゃん」という女性のあだなのような店名が少なくありません。それは、戦争で寡婦となってしまった女性が、焼け野原で女手一つで生きてゆくために出したお店が多いからなのです。
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更新:11月22日 00:05