
半藤一利「非人間的な戦争下においてわずかに発せられた人間的ないい言葉」
半藤一利(作家)
歴史街道 » 戦争というもの~半藤一利が孫娘に託した最後の原稿
2021年1月に逝去した昭和史研究の第一人者・半藤一利氏が太平洋戦争開戦80年の節目に、日本人へ伝え遺したかったこととは――
太平洋戦争を理解する上で欠かせない「名言」の意味とその背景を、著者ならではの平易な文体で解説し、「戦争」とはどのようなものかを浮き彫りにする。
『歴史街道』で連載していた生前最後の原稿を書籍化した、後世に語り継ぎたい一冊。
――半藤一利(本書「まえがき」より一部抜粋)
戦争の残虐さ、空しさに、どんな衝撃を受けたとしても、受けすぎるということはありません。破壊力の無制限の大きさ、非情さについて、いくらでも語りつづけたほうがいい。いまはそう思うのです。戦争によって人間は被害者になるが、同時に傍観者にもなりうるし、加害者になることもある。そこに戦争の恐ろしさがあるのです。(中略)
90歳の爺さんがこれから語ろうとするのは、そんな非人間的な戦争下においてわずかに発せられた人間的ないい言葉ということになります。いや、全部が全部そうではなく、名言とはいえないものもまじりますが、それでもそこから将来のための教訓を読みとることができるでありましょう。むしろ許しがたい言葉にこそ日本人にとって教訓がつまっている。そういう意味で〈戦時下の名言〉と裏返していえるのではないかと思うのです。
――PHP研究所 北村淳子(本書「編集後記」より一部抜粋)
この本の原稿が私の手元に届いた時、まさかこれが「歴史探偵」半藤一利の遺作になるとは思いもよりませんでした。
半藤は、私の実の祖父にあたります。
私が病室に行くと、祖父は少し痩せてはいましたが、「おう、よく来たな」と、起き上がって話をしてくれました。母からは「最近はベッドで寝てばかりいる」と聞いていましたが、思いの外元気な様子でした。正直に言うと、この時何を話したかはあまりおぼえていません。今になるとそれも悔やまれますが、きっと他愛もない話だったのだと思います。
私が帰った後、祖父は母に、
「俺、書こうかな」
と、ぽつりと言ったそうです。
その後、母を通じて私に一枚の紙が渡されました。
――半藤末利子(本書「解説」より)
夫が亡くなったのは、令和3年(2021)の1月。彼は自分の死期を悟っていたのかもしれません。具合が悪くなるにつれて、
「あなたをおいて先に逝くことを許して下さい」
と私に頻りに詫びるのでした。
そして、亡くなる日の真夜中、明け方頃だったかもしれません。
「起きてる?」
と、夫の方から声をかけてきました。
私が飛び起きて、夫のベッドの脇にしゃがみ込むと、彼はこう続けました。
「日本人って皆が悪いと思ってるだろ?」
「うん、私も悪い奴だと思ってるわ」
私がそう答えると、
「日本人はそんなに悪くないんだよ」
と言いました。そして、
「墨子を読みなさい。2千5百年前の中国の思想家だけど、あの時代に戦争をしてはいけない、と言ってるんだよ。偉いだろう」
それが、戦争の恐ろしさを語り続けた彼の、最後の言葉となりました。
天災と違って、戦争は人間の叡智で防げるものです。戦争は悪であると、私は心から憎んでいます。あの恐ろしい体験をする者も、それを目撃する者も、二度と、決して生みだしてはならない。それが私たち戦争体験者の願いなのです。
半藤一利(はんどう かずとし)
1930(昭和5)年、東京生まれ。東京大学卒業後、文藝春秋に入社。「週刊文春」「文藝春秋」編集長、専務取締役などを経て、作家となる。1993(平成5)年、『漱石先生ぞな、もし』で新田次郎文学賞、1998年、『ノモンハンの夏』で山本七平賞を受賞する。2006年、『昭和史 1926-1945』『昭和史 戦後篇 1945-1989』で、毎日出版文化賞特別賞を受賞。『決定版 日本のいちばん長い日』『聖断―昭和天皇と鈴木貫太郎―』『山本五十六』『ソ連が満洲に侵攻した夏』『清張さんと司馬さん』『隅田川の向う側』『あの戦争と日本人』『日露戦争史』など多数の著書がある。